旧聞に属する話ですが、日本電産の後継者が決まりません(というか決まったのに何回も反故になっています)。
後継者を決めるのが、現経営者(のみ)であるということが上場企業でよいことなのか、かなり疑問ですが、そのことをさておくとしても、これだけ何度も(この10年で少なくとも4人を外部から後継者候補を招聘して頓挫)同じことを繰り返しているため、マスコミでは、「誰が後継者候補になっても、永守さんは結局は気に入らないのではないか」的な論調で批判を繰り広げています。
辣腕経営者として鳴らしてきた永守さんも78歳です。そのガンバリズムは私も尊敬しています。
でもこの間の動きはどうも感心しません。
まず、連れてこられて結局切られる人はたまったものではないのではないかと感じています。
最初から、「企業文化や永守さんの信条(心情?)に会わなかったら出て行ってもらうから」と言ってもらっていればまだしもです。
かつて筆者自身が経営者候補として三顧の礼で迎え入れられた会社の社長から3年半でクビにされたという自分の経験をどうしても重ねてしまいます(20年以上前の話です・・・ちなみにその会社の社長はかなり高齢(永守さんと同年代)ですが、まだ社長をやっていると聞いています)。
まあ、呼ばれて来てしまい、「以前と同じ感覚」で働く人も考え方が甘いのですけど。
週刊東洋経済によれば、
「トップは社員よりも早く出社するべきなのに(関氏は)8時半とか9時に来る。それが悪いとは言わないが、日本電産の企業文化が崩壊してしまう」と永守さんがコメントしたとか。
「企業文化」ってなんでしょうか、いろいろと考えさせられます。
ひょっとすると、永守さんが「外部から連れてきた人」に対して、生え抜きの人たちが嫉妬して(反感を持って?)、「あの人は9時に来てるんですよ、いいんですか永守さん」、などとつまらんことを耳に入れていたんではないか、と想像してしまいます。私自身の体験からすると、全くありそうな話です。担当の業績(関氏の場合、車載部門)が芳しくなくなると余計にそういう話になりそうです。
さて今回、関氏に代わり社長になった小部氏を永守さんは「子分」と呼んでいるそうです。
「企業文化を体現する人物」とのことですが、そんなに「企業文化」が一番大事なら最初からこの人にしておけばよかったのに、と思いますね。
だんだん、かなり残念な話になってきていますが、それでも、この先も日本電産から目を離せません。