全く非現実的な売上目標を掲げて、毎期届かず、社員としても、どうせ無理と思いながら、朝礼で毎日目標数字を唱和する会社があります。私は、「背伸びすればぎりぎり届く目標」に設定しなおすべき、と思っていました。世間的にはそれが定説かと思います。
ところが、こういった考え方を真っ向から否定するのが、一倉定さんです。
一倉さんは、昨年復刊になった名著「ゆがめられた目標管理」(日経BP社)で、
「目標は、過去の実績からみたら、常に不可能なものである。だからその目標を達成するのにムリがあってはいけない、部下の納得できるものでなければいけない、などという泰平ムードの観念論など通用しない」と書いています。
目標は、会社を取り巻く経営環境を踏まえて、生き残りのために考え抜いて導き出されるものであり、社員が無理と思おうと、「どうしてもやりとげなければならないのだ。」ということです。
以上は目標のレベル感についてのものですが、目標の立て方についても、一倉さんは、世の中でよく行われている「上司と部下によるすり合わせ」を否定しています。
「上から押し付けるのではなく、各人の自発的意思に基づいて立てる」「上下のコミュニュケーションによって、良好な人間関係醸成の過程から目標が設定される」「上司が目標を設定する際に部下に参画させる」「目標は各人の能力に応じた適当な高さのもの・・・」。
そこにはもう「厳しい企業環境や企業の目標」という最初のうたい文句はどこかへ置き忘れていしまっている、と。
これは、厳しい指摘ですね。
部門や部下の「自主設定では客観的醸成に対応できず、企業目標にも合致しない、ということです。
社長はワンマンで目標を決めよとも書いてあります。
結論:「個人の目標に合わせた目標で企業環境の変化に対応できるならつぶれる会社など一つもないのだ。」。
なんだか、今「はやり」の「識学」さんのセオリーを聞いているような気もしてきました。
「人間関係は経営に優先しない」(ドラッカー)
「会社が楽しいところである必要はない」(盛田昭夫)
との引用もありました。
なかなか考えさせられるものがあります。
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企業再生の現場では、経営計画での数値目標のレベルついては、銀行に実績での達成度をチェックされるため、あらかじめ「実現可能なもの」として設定されていることが多いです。
遠い将来はともかく、すぐに経営破綻しない範囲で、最低限のレベルで数値が設定されている(=実現可能性が高い)とすれば、これは目標という意味では本末転倒ということになりかねないという危惧を強く持ちました。本来はもっと高い目標を設定してクリアしないといけないのではないかと・・・