「働き方改革」の後押しもあり、また、企業の内部の様子もネットで漏れ伝わるようになってきて、
中小でもとくに採用活動を推進する会社ではホワイト化が進んでいます。
私のクラインアントでも、就業規則や勤怠管理の見直しや、透明性の高い賃金制度を導入しようとしている会社が多くありまして、
社労士さんなどとともに応援しています。
コストは上がってしまうのですが、従業員満足度の向上(これが会社の努力ほど効果なかったりしますけど)と
人材獲得力のUPにつながって、業績が上がると信じています。
さて、日経新聞夕刊に「リビングハウス」社長の北村甲介さんという方が、エッセイ「一人勝ちニトリに待った」を連載していますが、
2月16日の3話目に、慶応大学商学部を卒業するにあたり「中小のベンチャー企業に絞って就職活動をした」というくだりがあります。
「アパレルや出版などを手掛ける社員100人ほどの会社に入りました。面接で出会った先輩社員が生き生きとしており、この規模の会社なら若いころから活躍できるのではと思いました。結論からいうこと、この就職は大失敗でした。今でいうブラック企業でした。確かに会社は勢いがあり、業績も伸びているのですが、入社すると驚くことの連続でした。」・・・・
この後に、どのようにブラックだったのが具体的に書いてありますので、興味のある方は記事を読んでください。
このエッセイでは、続けて「同期入社の10人は少しずつ辞めていき、私も1年で見切りを付けました。」とあります。
そのあと北川さんは家業を継がれて成功されたとのことです。
で、なんでこの話をしているかと言いますと、
この「ブラック企業」こそが、私がMBAを取得して三顧の礼をもって社長から経営者にしたいと迎い入れられて、3年半クビになったまさにその会社だからです。調べてみると、どうやらこの北川さんという方が入社した前後に私は中途で入社してますので、時代が重なっています。
この記事には書いてありませんでしたが、20時以前に帰ることは許されず、どうしてものときは社長に直接OKをもらう必要がありましたが、社長が怖いので皆残っていました(固定残業制?)。また、朝礼で社長が「有給をとるヤツなど評価しない」と発言していました。
業績自体は良かったので、ホテルの会場を貸し切って大々的に会社説明会をしていましたが、毎年10人以上採用した大卒社員は次々に辞めて行きましたね。懐かしいです。
この会社、詳しくは調べていませんが、今でも元気のようで、数年前には青山通りに本当に立派なビルを建てました。相変わらずなのか、少しはホワイト化したのか、ちょっと興味がありますね。