岩手からの帰りの新幹線です。3月11日。あれから3年たちました。
新幹線は基本的に内陸を走っているので、車窓から震災の傷跡はほとんど見られませんが、ニュースで見る限り、まだまだ復興は道半ばのようです。
あの日は、九州に出張中で、飛行機が飛ばないので帰れなくなり、急きょ泊まったビジネスホテルの近くの居酒屋のTVで悲惨な津波の被害を知りました。
弊社の関わった企業でもいろんなことがありました。
東北6県で服飾雑貨の店舗を展開していた会社は、弊社がお手伝いして再建計画を立てた直後に震災に会い、本社のすぐ近くまで津波が来て危機一髪でしたがなんとか難を逃れました。しかし、いくつかの店舗が原発から遠くない場所にあったためにかなりの被害を受けました。その後、復興需要もあり、業績は回復しているとのことです。
再建をお手伝いしていた北関東の江戸時代から続いていた料亭は、天井が崩落し、再起不能で廃業の決断を迫られました。
震災後1年たったころに関わった北関東の旅館は、宿泊客が激減していましたが、東京電力からの多額の補償金(金額には驚きました!)が入ったことを奇貨として、それまで株を保有していた外資系のファンドが国内の事業会社に株を売却(損出し)しました。
仙台に滞在中に被災して市役所内の段ボールの上で寝泊まりしたクライアントの社長は、身動き取れない中でみごとな指令をメールで会社に送りました(以前このブログで紹介しています)。その後、地震もないし原発もないということで沖縄に拠点を考えて調査に私も同行したりしましたが、喉元過ぎれば熱さを忘れるという感じで、社長も私も忙しさにかまけてBCPはどこかにいっています(反省です)。
と、いろいろなことが頭に浮かびました。
震災の被害に遭われた方々にあらためにお悔やみ申し上げるとともに、本日を機にもう一度危機管理を真剣に考えなければと思った次第です。